心の幅が狭くなる時

バイクで旅を始めたのは自分が会社で鬱になったのがきっかけ
それまではただの足としての道具だった。

 

各地で会う自分の事を知らない人の優しさに触れて自分が見ていなかった世界を知り
濃く先が見えない道の霧がちょっとづつ晴れていくようで
いつか困っている人がいたら助けられるような人間になれればと思っていけるようになった。

 

そして私の場合は治った。

 

時は経ち、
大型免許を買い
欲しいバイクを買い
ツーリングを頻繁にするようになって
各地で知り合ったライダーさん達や、楽しい写真をSNSにアップしている人達とTwitterで仲良くなったり。

知らない人と出会う事はとても刺激的で時に上がる自分が行きたい場所の話や工程をきくのは次の自分の目標ともなる。

しかし一人旅を続け、キャンプをして楽しかったのも過ぎる日が長くなると分かり始めてくる。

 

自分は知らない土地で独りぼっちだという事。

 

知らない人がもてなしてくれて良い経験を与えてくれて。その感覚がどんどん麻痺していって。

 

自分が鬱の頃、ただ単にざっくりと死ぬなら走ろう。せっかくなら綺麗な景色だけでも見よう。
東京のベランダから下を見てる毎日なら。と思っていた。

 

帰るところ、場所がなくなった、または戻る気がなくなった場合旅というのは完結しない。 区切りが無くなるからだ。

自分にはそれは見えなくなるんだろうと思った。

 

そうなってしまうと人前で笑顔を作っても受ける親切に対して丁寧に返答はできるが
独りになると心の容器は狭くなり、中身があふれ出そうになる。

 

出てしまった中身は行き場所もなく怒りや自己への悲しみが一瞬だけ顔を出してどこかにそっと居座ってる澱の様なものになる。

終わりの予定が見えなくても日に日に疲れはたまり、落ち着く場所を探すももうその意識すらうつろになってしまう。深く深く意識がもぐってしまう。

 

昨日Twitterでフォローをしていた毎日北海道の楽しそうな写真を上げながら走っていたライダーが区切りをつけてしまった。

 

ここが旅の終点。

それでは、

みなさん、

さようなら。

良きライダー人生を!

 

最後は夜のダムの写真とツイートして。

 

 

皆のお疲れ様ゆっくり休んでねという返答もむなしく
今日彼の遺体はダムから上がったそうだ。
バイクに荷物を載せて、キーもつけたまま。

 

終わりを付けてしまった。

 

自分とは状況が違うだろうが、終わりを探してバイクで旅に出てまた東京に戻ってきた自分としては
何か分からないが目が熱くなる、自分にはその終わらせ方をする度胸がなかったからという気持ちもまだあるからかもしれない。

 

どれだけ人が何かしてあげられなかったと嘆いてももう無理な場合がある。
聞こえなくなってしまっている。
どうしようもない気持ちが締め付けてくる

 

この世界に魅力を感じなくなってしまう事が終わりだったんじゃないだろうか。

楽しい思い出を最後にしようとして。

 

面識もなく、声を交わすこともなかったが、
せめて安らかに。

 

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